カポーティ『ティファニーで朝食を』あらすじと解説~あの有名映画の原作小説~

Literature

トルーマン・カポーティの『ティファニーで朝食を』は1958年にアメリカで出版された小説です。

オードリー・ヘプバーン主演の同タイトルの映画が有名ですが、その原作にあたる作品です。

映画に比べると地味であることが否めない本作品ですが、原作の『ティファニーで朝食を』も歴史に名を残す名小説です。


小説が原作だったとは、知らなかった人も多いのではないでしょうか。
僕も読むまで知りませんでした(笑)。

著者のカポーティは、映画『ティファニーで朝食を』のホリー役がオードリー・ヘプバーンになったことに不満を抱いていたそうです。なぜなら、原作を読めば明らかに分かることですが、私たちの抱くオードリー・ヘプバーンのイメージとヒロインのホリー・ゴライトリーはかけ離れているからです。

そのため小説を読む時は、一度オードリー・ヘプバーンのことは忘れて読むことをおすすめします。ホリーは、この作品の全てとも言えるので、先入観なく読んでみることをおすすめします。と言っても、映画を見たことがある人には難しい話かもしれませんが。

一つ言えるのは、映画化の際にストーリーや設定に少なくない変更が加えられているので、映画を見たことがある人でも新鮮に楽しむことができるということです。

前置きはこれくらいにして、早速あらすじから紹介します!

あらすじ

舞台は、第二次世界大戦下のニューヨーク。

ホリー・ゴライトリーは、駆け出しの小説家である僕と同じアパートに住む新人女優。

彼女はセレブ達の求愛をひらりとかわし、華やかなニューヨークの社交界で自由に生きている。

僕は、次第に奔放で自由なホリーに興味を惹かれていく。

そんなある日の夜更け、僕の部屋の呼び鈴が鳴る。

そこにいたのは、他でもない、ホリーだった。

(以下ネタバレ注意)













ティファニーみたいなところ

ホリーの部屋には家具がなく、スーツケースでいつでも旅立てるような状態です。また、飼っている猫には名前を与えません。また、郵便受けの表札には、ずっと「旅行中」と書いてあります。

なぜならホリーにとってアパートの部屋はかりそめのものにすぎないからです。彼女が本当に追い求めている居場所は、ティファニーのような幻想世界です。それを彼女は「ティファニーのようなところ」と呼んでいます。

「自分といろんなものごとがひとつになれる場所をみつけたとわかるまで、私はなんにも所有したくないの。そういう場所がどこにあるのか、今のところはまだわからない。でもそれがどんなところだかはちゃんとわかっている」

引用:ティファニーで朝食を

ホリーが追い求めている自分といろんなものごとがひとつになれる場所、これこそが「ティファニーのようなところ」です。

「その店内の静けさと、つんとすましたところがいいのよ。そこではそんなにひどいことは起こるまいってわかるの。隙のないスーツを着た親切な男の人たちや、美しい銀製品やら、アリゲーターの財布の匂いの中にいればね。ティファニーの店内にいるみたいな気持ちにさせてくれる場所が、この現実のどこかに見つかれば、家具も揃え、猫に名前をつけてやることだってできるのにな。」

引用:ティファニーで朝食を

ティファニー店内の、美しい銀製品やスーツを着た親切な店員というのは、ティファニーという幻想(イメージ)を作るために存在する虚像です。ティファニーでは、イメージを作るために、現実の持つ様々な不調和は省かれ、清潔で綺麗なものしか存在しません。

つまり、「ティファニーのようなところ」とは、現実からは乖離した幻想の世界を表しています。

ホリーが探している場所というのは、現実的な世界ではなく、幻想世界にあります。

彼女は、その特殊な過去のためからか、多くの人が持つ現実性と非現実性の均衡が失われ、救いがたい夢想家になってしまったのです。

我々の大方はしょっちゅう人格を作り直す。身体だって数年ごとに完全なオーバーホールをくぐり抜けることになる。望むにせよ望まないにせよ、我々が変化を遂げていくのは自然なことなのだ。ところがここに、何があろうと断じて変化しようとしない二人の人物がいる。ミルドレッド・グロスマンとホリー・ゴライトリーの二人だ。それこそが彼女たちの共通点である。彼女たちが変化しようとしないのは、彼女たちの人格があまりにも早い時期に定められてしまったためだ。ちょうど何かの拍子に金持ちになってしまった人間と同じように、あるところで人を支える均衡のようなものが失われてしまったのだ。一人はごちごちの現実主義者になり、もうひとりは救いがたい夢想家になる。

引用:ティファニーで朝食を

そんなホリーは、バーマンにスカウトされて女優になりましたが、実は特に女優になりたいわけではありません。

「女優って、とんでもなく大変な仕事だし、まともな神経を持った人間には馬鹿馬鹿しくって、とてもできることじゃないんだもの。そこまでの劣等感は私にはない。映画スターであることと、巨大なエゴを抱えて生きるのは同じことのように世間では思われているけど、実際にはエゴなんてひとかけらも持ちあわせてないことが、何より大事なことなの。」

引用:ティファニーで朝食を

「リッチな有名人になりたくないってわけじゃないんだよ。私としてもいちおうそのへんを目指しているし、いつかそれにとりかかるつもりでいる。でももしそうなっても、私はなおかつ自分のエゴをしっかり引き連れていたいわけ。いつの日か目覚めて、ティファニーで朝ごはんを食べるときにも、この自分のままでいたいの。」

引用:ティファニーで朝食を

ホリーにとって大事なことは、どこへ行き何者になろうと、エゴを持った自分自身でいることです。

様々な役を演じる映画スターというのは、必然的に本当の自分と演じる自分という二面性に悩まされることになります。なので、彼女は周りが彼女に対して求めることや世間の常識などよりも、自分のエゴを優先させます。周りからはそれを気違いだと言われますが、それが彼女の魅力でもあります。

「いつの日か目覚めて、ティファニーで朝ごはんを食べときにも、この自分のままでいたいの」

ティファニーという自分の追い求める場所に辿り着き、そこで朝食を食べる時さえ、エゴを持った本当の自分は失いたくない。タイトルになっているこのセリフは、ホリーを表す素敵な言葉だなぁとつくづく思います。

落ち着ける場所を探して

ホリーは、ドクと暮らしていたころのルラメーという名前を捨て、新人女優ホリーとしてニューヨークで新しい人生を歩み始めました。ティファニーのようなところを求めて、社交界を生きる彼女は、時々強い不安感に悩まされることを僕に打ち明けます。

彼女はそれを「いやったらしいアカ」と呼びます。

「でもいやったらしいアカっていうのは、もっとぜんぜんたちが悪いの。怖くってしかたなくて、だらだら汗をかいちゃうんだけど、でも何を怖がっているのか、自分でもわからない。何かしら悪いことが起ころうとしているってだけはわかるんだけど、それがどんなことなのかはわからない。」

引用:ティファニーで朝食を

「私はもう十四歳じゃないし、ルラメーでもないんだとどれだけ言っても通じないんだ。でもいちばんの問題は私は実際には何ひとつ変わっちゃいないってことなのね。私は今でもまだ七面鳥の卵を盗んだり、いばらの藪を駆け抜けたりしているルラメーなの。今ではそれを『嫌ったらしいアカ』って呼んでいるだけ」

引用:ティファニーで朝食を

「ティファニーのようなところ」という幻想を追い求める彼女にとって、生々しい現実であるルラメーという過去の自分の影は、消し去りたいものなはずです。しかし、彼女は自分の一部であるルラメーを捨て去ることができません。名前こそ捨てたものの、彼女はいまだにルラメーであり、そしてホリーなのです。

この過去の自分が「嫌ったらしいアカ」として、幻想を追い求めるホリーのしがらみとなります

また、彼女は幻想を追い求めるあまり、多くのものを失うことになります。

「空を見上げている方が、空の上で暮らすよりはずっといいのよ。空なんてただからっぽで、だだっ広いだけ。そこは雷鳴がとどろき、ものごとが消え失せていく場所なの」

引用:ティファニーで朝食を

彼女は、自分が探している場所は、実はからっぽであることを気づいているのかもしれません。

ブラジルに旅立つ前に、彼女は飼っていた名前の無い猫を棄ててしまいます。

彼女は猫のことを独立した人格と言っていましたが、簡単に棄ててしまいます。この自分勝手な態度が結局、愛した人に簡単に見捨てられることになった原因です。

棄ててすぐに、猫の存在が自分にとってどれだけ大事であったかに気づきますが、時すでに遅し。

自分が取った態度は、結局自分のもとに返ってきます。

「私は怖くてしかたないのよ。ついにこんなことになってしまった。いつまでたっても同じことの繰り返し。終わることのない繰り返し。何かを捨てちまってから、それが自分にとってなくてはならないものだったとわかるんだ。」

引用:ティファニーで朝食を

物語中で彼女の失ったものについて詳しくは書かれませんが、彼女の言葉通り、猫を棄てたのと同じ様なことを繰り返してきたのでしょう。

非現実的な幻想を追い求めている彼女は、現実的な何かを繋ぎ留めておくことができないのかもしれませんね。

行方をくらませた猫ですが、最後主人公の僕が見つけ出します。

でもある日曜日、明るい日の差す冬の午後、ようやく僕はその猫に巡り会った。鉢植えの植物に両脇をはさまれ、清潔なレースのカーテンに体のまわりを縁取られ、いかにも温かそうな部屋の窓辺に、猫は鎮座していた。今ではきっと、彼にも名前が与えられているはずだ。そしてきっと猫は落ちつき場所を見つけることができたのだ。ホリーの身にも同じようなことが起こっていればいいのだがと、僕は思う。そこがアフリカの掘っ立て小屋であれ、なんであれ。

引用:ティファニーで朝食を

主人公の僕は、住みかという現実性を手に入れた猫とホリーを重ね合わせ、ホリーも住所という現実と繋がれる場所を見つけられることを願って、物語は終わります。

果たして、ホリーは居場所を見つけることはできたのでしょうか。

感想

ホリーは正直だけどわがままで、現代社会ではまず間違いなく嫌われる存在だと思います(笑)。

この作品を読み、ホリーに共感できない人も多いのではないかと思いました。

しかし、僕にはホリーがとても魅力的な人間に映りました。

大人になり社会に出ると、自分らしさみたいなものを失ってしまう人も多いですが、彼女は決してエゴを失いません。そんなホリーのたくましさや不安定な内面などを、とにかく魅力的に描写するカポーティに酔いしれます。

また、終わり方が切なくも爽やかで最高です。

主人公の僕と一緒に、読者である私たちも、ホリーに居場所が見つかるよう祈ることができます。読後感の素晴らしさは、この作品の特筆すべき点の一つですね。


余談ですが、驚くことに今では本当にティファニーで朝食を食べれるみたいです。
これにはカポーティも驚きですね(笑)。

What It's Like To Have Breakfast At Tiffany's


小説を読むと、一度行ってみたくなります(笑)。


『ティファニーで朝食を』は、村上春樹が翻訳したものが出版されています。
というか、今では彼が翻訳したものの方がよく見ると思います。僕も彼が翻訳したものを読みました。

日本を代表する作家である村上春樹のあとがきが読めるのは、彼の翻訳作品の楽しみの一つです。

その訳者あとがきによると、カポーティの英語原文は、元々端正な文体であったみたいです。なので、海外作品にありがちな不自然感や読みにくさは殆どないです。元々の原文が良いのか、翻訳が素晴らしいのかは分かりませんが。ただ、少なくとも、この小説と村上春樹のあの独特な文体の相性はかなり良いです。

『ティファニーで朝食を』は、ヒロインのホリーの奔放な行動、そして背後にある彼女の不安定さ、そしてその魅力を主人公の僕の目を通して美しく描く、古き良きアメリカの青春小説です。

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