村上春樹『羊をめぐる冒険』あらすじと解説~システムと個の物語~

Literature

『羊をめぐる冒険』は、村上春樹の三作目の長編小説です。彼は元々バーを経営しながら執筆活動をしていましたが、この作品から専業作家としての道を歩み始めたそうです。

また、彼のエッセイ、『職業としての小説家』によると、彼は一作目と二作目の出来には納得していないそうです。兼業作家だったこともあり、時間と体力の限界があったのだと思います。技術的にもまだ未熟だったのかもしれません。

(彼自身について興味がある人は、彼が小説と小説家について語ったエッセイ、『職業としての小説家』がおすすめです。)


しかしそれは裏を返せば、三作目である『羊をめぐる冒険』は、村上ワールドが一定の完成度に達した作品だと言うことができます。

そんな『羊をめぐる冒険』はどの様な小説なのでしょうか。

早速あらすじの説明からいってみましょう!

あらすじ

主人公の「僕」は、友人と始めた小さな会社で広告コピーの仕事をしている29歳。
持っているものは、借り物の部屋とろくてロクでもない家財道具、二百万の貯金と中古のフォルクスワーゲンが一台、それに年取った雄猫が一匹だけ。

「僕」は、妻を失った後、仕事を通して耳専門のモデルをしている女性と親しくなります。そして彼女の耳は、予知能力の様な不思議な力を持っています。

ある日、「僕」のもとに黒服の男が訪ねて来ます。

そして一匹の羊を探すように半ば脅される形で命じられ、不本意ながらもある大きな野望に巻き込まれていくことになります。

舞台は冬が迫る北海道。
「僕」と不思議な耳を持つ「彼女」による、羊をめぐる冒険が始まります。

「僕」は羊を探し出すことができるのか。

冒険の真相が明らかになった時、物語は衝撃の最後を迎えます。



これから、物語のキーとなるポイントを解説していきます。
(激しくネタバレするので注意!)













「羊」とシステムが含む悪

結論から言うと、「羊」は「システム」が内在的に孕んでいる悪を表しています。
「羊」は巨大なシステムを構築し、大きな悪を為そうとします。(羊的思念では善なこと)

システムとそれが内包する悪、これがこの小説の中心のテーマです。

詳しく解説していきます。
まず、システムとは何か?

村上春樹氏は、エルサレム賞受賞の挨拶で、壁と卵という比喩を使ってシステムについてスピーチをしています。

こう考えてみて下さい。我々はみんな多かれ少なかれ、それぞれにひとつの卵なのだと。かけがえのないひとつの魂と、それをくるむ脆い殻を持った卵なのだと。私もそうだし、あなた方もそうです。そして我々はみんな多かれ少なかれ、それぞれにとっての硬い大きな壁に直面しているのです。その壁は名前を持っています。それは「システム」と呼ばれています。そのシステムは本来は我々を護るべきはずのものです。しかしあるときにはそれが独り立ちして我々を殺し、我々に人を殺させるのです。冷たく、効率よく、そしてシステマティックに。

引用:村上春樹雑文集

システムとは、私たち人間が生み出した、あらゆる文明、国家、政治などの総称です。
このスピーチで彼は、私たちを護るはずのシステムが、私たちの魂をおとしめる危険性を説いています。


では、なぜ羊がシステムを表すのか?

それは、羊が群居性を持つ動物であるためです。

羊飼いの男が羊の生態についてこんな風に語っています。

「とにかく羊は怯えさえしなきゃ大人しい動物なんだ。犬のあとを黙ってついていくよ」

引用:羊をめぐる冒険

「その方がこちらも管理しやすいんだ。一番偉い羊をひっぱっていけば、あとは黙っててもついてくるからさ」

引用:羊をめぐる冒険

怯えない限り自らの意思を持たない群衆。
羊のこの様な生態は、まるでシステムの中で生きる私たち人間そのものではないでしょうか。

そして「羊」の目的は、観念の王国を作ることです。

「完全にアナーキーな観念の王国だよ。そこではあらゆる対立が一体化するんだ。その中心に俺と羊がいる」

引用:羊をめぐる冒険

あらゆる対立が一体化し、その中心に鼠と「羊」がいる。

これは、個別の価値観が存在しないある種の全体主義を作るということ。
それも鼠と「羊」を中心に。

それには、人間を群衆化する必要があります。

なぜなら、ハンナ・アーレントが悪の凡庸さとして説いた様に、群衆は組織化されると簡単に悪を為すことができるからです。

「羊」は先生を利用して、政界、財界、マスコミ、官僚組織、文化などを取り込み、強大な地下の王国を作り上げました。

しかし、先生は「羊」の求めているものを十全に理解することが出来なかったため、「羊」に見捨てられてしまいます。

なぜ先生は「羊」の求めているものを理解出来なかったのか?

それは、先生には「弱さ」が足りなかったからです。

反面、鼠は弱さのために「羊」に選ばれます。
そして「僕」に自身の弱さ、そしてその弱さが好きなことを伝えます。

「キー・ポイントは弱さなんだ」

引用:羊をめぐる冒険

「全てはそこから始まってるんだ。きっとその弱さを君は理解できないよ」

引用:羊をめぐる冒険

人間は弱い生き物です。

そしてその弱さを補うために、様々なシステムを構築します。

しかし、システムは時に暴走し、数々の悲劇を生み出しました。
その暴走は、人間の様々な弱さに起因します。

システムに生じる悪は、常に弱さと隣り合わせに存在しているのです。

悪に手を染めるには弱さが必要です。
「羊」はそんな鼠の弱さを利用しようとしたのです。

しかし「羊」の目的を悟った鼠は、完全に飲み込まれてしまう前に、「羊」を含んだまま自殺します。

さらに、先生の秘書をおびき寄せ、爆発によって殺害します。
(先生の秘書は、先生と同様の能力を持っていると最後に打ち明けます)

こうして鼠は、悪を自らと共に消し去ろうとしたのではないでしょうか。

現実的な凡庸と非現実的な凡庸

よく言われているように、「僕」の喪失が裏のテーマです。

「いいですか、僕は一晩よく考えてみたんですよ。それで気がついたんです。僕には失って困るものが殆どないことにね」

引用:羊をめぐる冒険

「僕」は初めは失うものなどないと思っています。
しかし、妻を失い、彼女を失い、最終的には友人の鼠をも失ってしまいます。

なぜ「僕」は彼らを失ってしまったのか?

それは「僕」が非現実的な世界で生きているからです。

どういうことか?

彼女と初めて会った時に言われた言葉と、先生の秘書の言葉から紐解いていきます。

「それはあなたが自分自身の半分でしか生きてないからよ」

引用:羊をめぐる冒険

「人間をおおまかに二つに分けると現実的に凡庸なグループと非現実的に凡庸なグループにわかれるが、君は明らかに後者に属する。これは覚えておくといいよ。君の辿る運命は非現実的な凡庸さが辿る運命でもある」

引用:羊をめぐる冒険

まず、自分自身の半分でしか生きていない「僕」は、「非現実的な凡庸さが辿る運命」のメタファーになっています。

それでは、非現実的とはどういうことか?

物語後半、「僕」は「世界は良くなっていくか」という鼠の問いに対して、「何が良くて何が悪いなんて、誰にわかるんだ?」と返します。「僕」は鼠との対話の中で何度も一般論を繰り返しました。

そして鼠が言います。

「一般論をいくら並べても人はどこにも行けない。俺は今とても個人的なはなしを話をしてるんだ」

引用:羊をめぐる冒険

「まったく、もし一般論の国というのがあったら、君はそこで王様になれるよ」

引用:羊をめぐる冒険下巻

振り返ると、「僕」の物語中での発言は、殆どが一般論であったことに気づきます。

一見、当たり障りのないまともな意見のようですが、その言葉には人間らしい感情が決定的に欠如しています。

最初に何があったのか、今ではもう忘れてしまった。しかしそこにはたしかに何かがあったのだ。僕の心を揺らせ、僕の心を通して他人の心を揺らせる何かがあったのだ。

引用:羊をめぐる冒険

「僕」にも過去には心を揺らす何かがありましたが、失われてしまったのです。

物語冒頭に別れた妻が「僕」にこんなことを言っていました。

「でも、あなたと一緒にいてももうどこにも行けないのよ」

引用:羊をめぐる冒険

そして「僕」のこのニヒリズム的な態度こそが全てを失った原因なのではないでしょうか。

(ダンス・ダンス・ダンスでは、「僕」が現実世界との繋がりの回復のために奮闘する様が描かれます。)

おわりに

独特なリズムを持つ文体と、現実と非現実を自然に行き来するストーリー展開。
そして、システムとそれに対峙する個の物語。

『羊をめぐる冒険』は、村上作品の大きな特徴が完成に至った作品です。

そしてこの作品には続編があります。
6作目の長編である『ダンス・ダンス・ダンス』です。
これで「僕」の物語は完結を迎えます。

『ダンス・ダンス・ダンス』についても、次回解説しようと思います。

村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』あらすじと解説~本当の自分ってなんだろう?~ | 世界は言葉でできている
『ダンス・ダンス・ダンス』は村上春樹の6作目の長編小説です。『風の歌を聴け』、『1973年のピンボール』、『羊をめぐる冒険』の三つからなる青春三部作(呼び方はいくつかあるみたいです)の続編という位置づけです。特に『羊をめぐる冒険』との関係性が多く、「いるかホテル」や「特殊な耳の彼女(キキ)」などが物語に登場します。もち...

それでは今回はこの辺で。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

あとがき

前からやろうやろうと思って、中々手をつけていなかった本の解説。
記念すべき第一弾は、僕の敬愛する作家、村上春樹さんの『羊をめぐる冒険』になりました。

村上作品は、メタファーを多用した明快とは言い難いものばかりです。余白のある物語が彼の魅力です。(だと僕は思っています)

僕なんかが解説などというのはとてもおこがましいのですが、一個人の解釈として楽しんで頂けたら幸いです。

ご意見やご指摘も大歓迎です。

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